2007/12/31

振り返り事項

祖母のうちでぼーっと紅白を聞いていたのだけど、中村中ってひとの「友達の詩」にえらく心魅かれた。歌詞で魅かれるのは僕にとっては珍しい事で、ほとんどが音として聞いている中で、珍しく詩として聞いた曲。勿論その人にとっての「友達くらいが丁度良い」の意味と僕にとってのそれは違うのだろうけど、それでも久しぶりに「伝えたい事があるんだ」という思いを感じる事の出来る詩+解釈の違いはあるだろうけど共感する事ができる詩だった気がする。

坂井泉水さんの追悼的なものもあったけど、僕は「負けないで」とかを聞いて勇気付けられるタイプの人間ではない。もっと言ってしまえば、励ましが必要なほどそんなにピンチになったことが無いのだと思う。だから大抵「歌詞に勇気付けられました」とかそういう理由である歌を好きになったことは無い。そういうタイプの人間なので、歌詞に魅かれるのは珍しいわけ。(演歌とかの歌詞には引く事はあるけど)

そんなことを思いながら友人の日記などを見ていると、一年の振り返りをしているので、まぁ確かに今日は良い機会かもしれないという事でガラにも無く振り返ってみる。

1月
記憶無し。
旧ブログを見ても大したことは書いてない。

2月
記憶無し。
旧ブログを見てみるとサークルの同期と直島に卒業旅行に行ったという記事があった。
言われてみればそうだ。

3月
インド、ガンディグラム大学。
初の観光地ではない途上国体験。

4月
本郷に来た。
ゼミに入った。
Mas-colellの重さに戸惑いつつミクロ受講。

5月
フィールドワークの準備開始

6月
記憶無し。
旧ブログによると計量経済学の扱い方に頭を悩ませつつも、サークルの活動で使おうとしていたらしい。多分これはchow-test。

7月
試験。
後日判明するが、サバイバルには一応生き残ったぽい。

8月
質問表作ってた。

9月
フィリピンにてフィールドワーク。
あれは良かった。生きてる心地がした。

10月
冬学期開始。

11月
記憶無し。
ブログによると韓国に行ったと書いてある。
忘れてた(笑)

12月
サークルの総会。晴れて無職に。
そろそろフィールドワークの結果まとめか?

まとめ
一年間総じて、ゼミを一年通してコンスタントに参加していたのと、テスト勉強なり面白そうな論文チラ見していたのも経済学カテゴリーに入れるとするならばですが、経済学の事を考えている以外のことは大した事はして無いという事がブログの記事から分かってきました。まぁ多分2008年もそうでしょうけど、院試があるので恐らく進路は決まってくると思います。ということであまり変わりの無い生活が予測されるので、ブログも大して変わりません。ご贔屓にしてもらっている皆様には非常に申し訳ありませんが、飽きずに見てやってください(笑)

2007/12/30

なぜまかり通るのか

実家に帰ってきました。今回は今までがらんどうだった自分の部屋に椅子と机を導入したので、東京にいるときとあまり雰囲気は変わらないわけですが。(それにしてもミクロと計量を勉強しようと思ってデカイ本三冊も持ってきたせいで疲れてしまった)

で、何気なくテレビをつけたら例の武田邦彦が出ていた。いわゆる「環境問題はなぜ嘘がまかり通るのか」とかいう本を出している人だ。僕は詳しく読んだ事は無いが、ダメダメな感じが表紙から既に漂っている。サークルの後輩が協力してた講義でもそのダメっぷりを扱ってた気がする。

割と信頼出来ると思われる環境学者、安井至先生によれば、彼の議論は安易な二元論によって構成されているらしい(参考)。仮に安井先生のいう事が正しければ、武田邦彦は科学者面した細木数子みたいなものだろうと。

で、何気なく面白かったのが、ゲストの人たちが「分別されたゴミが実は一緒に燃やされている自治体がある」という事実(恐らくビニプラの埋め立て上が無い為に焼却処分かサーマルリサイクルにしていると思われるが)を知って、「えー今まで分別していたのにぃ」という反応を取ったこと。昔駒場にいるときにこういう話は色々やったけど、一つ思ってたのは「仮にサーマルにして可燃不燃を一緒のごみ箱にしまうと、将来的にマテリアルに移行するとしたらその時にまた大変だろうな」という事で、だからと言って「別々に集めておいて裏でサーマルしてました」ってのもどうなんだろうとか思っていたわけだけど、今日のゲストの反応を見る限り隠し通してサーマルをするのは良くないのかもしれないね、なんて。まぁサーマルで可燃不燃一緒に出していいよ、と言われると一人暮らしの場合ホント楽だけど(笑)

しかし話は戻るけど、あの程度のレベルの低い、というか罪なほどに単純な議論が年末のスペシャル番組で流されるのは非常に残念。たかがテレビの言う事、と言えばそうですけど、そのテレビのいうことを信じる人が大量にでてくるとそれはそれで困るわけです。

大体、困った顔をしながら「どうでしょうねぇ~ちょっと良く分かりませんけど~」と言わない学者はスーパー出来る人か、偽者かどちらかだと思うわけで、普通の学者ははっきりとした物言いは出来ないわけです、多分。

別に学者だけではなくて、一般人として考えても、何が良い事なの良く分からない中で、それでも少しでも分かろうとして、もしくは何かを良くしようとして一生懸命になれる人と、テレビ的な安易な白黒を受け入れてしまう人とでは、圧倒的に僕は前者の方が良いと思うわけです。(幸いにして、サークルの皆は前者のタイプなので、僕はあそこにいられたわけですが。皆環境問題に興味があります、ってだけで、盲目的にゴミは分別しましょう、ゴミは拾いましょうと思っているわけでは無いところが、少なくとも外から見たイメージでの普通の環境サークルとの違いだと僕は思ってます。簡単に言えばゴアだって僕らか見るとダメダメっぽいわけです笑)

世の中色々複雑で、また近年複雑さを増してきているなんていいますけど、そんな中で犯罪的な二元論に陥らないようにしなければなりません、と自戒の念をこめて・・・。

2007/12/29

気になる言葉

今日ちょっとFWのデータにミスが見つかったので、ロッカー室まで質問票を取りに行った時の一こま。ラウンジで5,6人で話している(ミーティングかな?)人たちの話を通りすがりの僕が盗み聞き。

「(ちょっと不満げに)あの人さー細木数子とか信じなさそうなんだよね~」

・・・まったく文脈が読めない。しかもどうして不満げなのかも分からない。世の中には不思議がいっぱい。

僕は結構人の話を盗み聞きするのが好きです。喫茶店でもどこでも大抵隣の人がどんな話をしているのか、結構聞いています。悪趣味といえば悪趣味ですけど、個人的には「普段僕とかかわりのある人」だけじゃなくて、もっと広範囲の人がどんな事を喋っているのか興味があるわけで、そういう意味でランダムサンプリングが必要なわけです。勿論喫茶店にいる人という時点でバイアスはかかっているでしょうけど・・。

昨日深夜、普段は滅多に回さないチャンネル3、つまり教育テレビをつけてみたら、どこかで見覚えのある空間が画面に映し出された。これは紛れも無くラーメンズのコント!ということで、運よく最新の作品TEXTを見る事ができました。教育テレビグッジョブ。以下少々ネタバレを含む個人的な感想。

・僕はラーメンズのコントを全部見たわけではないけど、このTEXTはコント間のつながりのようなものがかなり強い気がします。てか前のねたを覚えてないとフルには笑えない。

・同音異義語のネタはちょっと長くて中だるみしましたが、ラーメンズの個人的なイメージとして「意味の無い、音としての言葉」を使うというイメージがあっただけに(プーチンマーチンや日本語学校アメリカン的な)、あの同音異義語は少し意外というか違和感を感じました。

・最後のネタはしりとりの途中でどうなるか分かってしまった辺りが残念。

・でもあの何ともいえないテイストは僕は好きですね。何か段々お笑いというより演劇を見ているかのような気分になってきます・・・

まぁそんな感じで、年末は過ぎていくわけですが、明日僕は実家に帰ります。多分1/6には戻ってくるので、それまで名古屋な人たちはよろしく。

2007/12/28

木々・鋼鉄

夕方ふと、「美術館でも行きたい」と思って検索したら、オペラシティで「北欧モダン デザイン&クラフト」をやっている事に気づき、さらに明日から年末年始で一時休館という事で慌てて行ってきました。

何も予備知識が無い感じで行ったけど、照明器具や椅子の美しさもさることながら、バウハウスとの関連も紹介されていて初心者的には良かったです。北欧モダンとバウハウスの違いは伝統を機能という観点からリデザインするのか、全くもって新しいものをデザインするのかにあるとか。なるほどなるほど、と。あと、ヤコブセンの第二次大戦前後における作風の変化とか、興味深い。どんな理由で、どういう風に人は変化していくのだろうか?自分にだぶる部分もある気がするだけに余計に興味深い。

食器も結構置いてあったのでそちら方向にも興味が湧いてきました。といっても装飾品的なものではなく、もっとシンプルなものにだけど。


で、その後都営新宿線で神保町下車、三省堂へ。今年もそろそろおしまいという事で今年売れた本ベストテン的な催しをしていたのだけど、何かの部門の三位にこれが入ってました。思わず買っちゃいましたが、内容はぼちぼち。ちゃんと内容は追ってはいないけど、コマ割りの薀蓄とか、マニエリスト荒木飛路彦だとか、あんまり考えた事が無い方面で語られてたのは面白かった。でもさすがに冒頭の鼎談での金田とかいう人はちょっとやりすぎかなぁと思った。アマゾンのレビューでもたたかれてますね(笑)

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てな感じで、倦怠期をなんとか脱そうとしているわけでした。ちゃんちゃん。


2229追記

今日一番驚いたのは、あの昔ながらの三角のテトラパックが、実は北欧生まれのテトラという会社の製品だったという事。そして今でもあるブリック(普通の四角い紙パック)もテトラの製品。身近にあるものなんですね、意外に。

2007/12/27

倦怠期

なんだか倦怠期ですね、最近。

そんな倦怠期には場所を変えていつもと違う所で、ってのがいいのかと思い、昨日は例の同窓会の待ち合わせ時間までルミネの中の喫茶店で論文とにらめっこ。しかしあそこで本を読んでいる人は珍しい感じで、ぱっと見一人で文字を読んでいる人は真向かいに座ってた人くらいで、あとは友人と買い物に来て休憩がてらにという感じだった。

隣の席には小学生か中学生か良く分からないくらいの女の子が二人で座ってた。東京の子はあんなに小さい頃から百貨店に友人と来てスタバに入ってだべっているのか・・・。ちょっとしたカルチャーショックだったが、まぁ今時の子はそういうものなのだろうかと妙に納得してしまった。大して世代は変わらないのに、なんだか別の人種のように思えるから不思議だ。一体普段どんな事を考えて生きているのだろうか。

大学の図書館で今日は勉強していたのだけど、明日から年明けまで休みらしい。大学の施設のくせして年末年始を休むとは中々の度胸というか、なんというか。大学の施設が開いていないと、僕みたいな人は「明日どこで勉強しよう」と悩んでしまうから、むしろ休み中こそ開けておいてほしいのだけど。

それにしてもなんだかパッとしない休みですね。基本的に昼間勉強、時たま夜に飲み会というサイクルを繰り返しているだけ。ここらでちょっと変わった事でもしたいな、なんて。映画でも見に行こうか・・・。お、コマネチ大学始まったから見て寝よ。

2007/12/26

それぞれの未来

今日は高校の友人達とちょっとした同窓会ぽいものがありました。結構久しぶりな人もいて面白かったですね。同じ大学に通う人もいるのですけど、学部が違うと会わないもので、そういう意味でも行ってよかった気がします。幹事さん有難う。

で、何とは無く「最近官僚になろうとしている人って少ないよね」的な話が出たので、「確かに」みたいな返事をしておきましたけど、もし本当にそうならその原因は二つあるんじゃないかと思います、ってのが今日の小話。

一つは期待所得の減少でしょう。天下りができなくなった官僚に美味しさは無いわけで、あの薄給でひたすら働くのはアホらしいと考えるのも無理はありません。本当に霞ヶ関が有能な人材を求めているのなら、それなりに給料を上げてあげないと人は集まらないでしょう。

もう一つは、補助的なモノかもしれませんが、憂国の士が官僚を目指すという構図が崩れているのではないかという事です。国の為にいい事をしたいと思う人が官僚になる、というのは一見もっともらしいのですが、別に官僚にならなくても国の為に出来ることはあるわけですし。もっと言えば、官僚がなす政策のどれだけが本当に国の為になるのでしょうか?という問題もあります。「市場の失敗」も問題ですが、「政府の失敗」も問題なわけです。まぁそもそも憂国の士なんてものが減ってきているのかもしれませんが。

そんなことを思いながら、友人たちの「これから」の予定を聞くと、ロースクールを目指す人から、就職活動をする人から、僕みたいに大学院を目指す人から色々で、わずか三年前には同じ教室で馬鹿をやっていた人たちが、どんどん枝分かれしていくんだなと思うと時の流れを感じざるを得ません。ヘタをすると一年ちょっとすれば働く人もでてくるわけで、恐らくあと10年ぐらいは学生をしているだろう僕としては尚更友人たちの活躍?が楽しみなわけです。そんな事を考えていると、勿論今の同窓会も行きますが、年を取った時また同窓会に行きたいなという気がしてきました。今は「これから」ですが、その頃には友人たちの「それから」を聞けるわけですからね。

2007/12/25

敢えて

そういえばクリスマスだったという事で、クリスマスに関することでも書いてみようかと思う。夢の無いようなことを書くが。

最近良く聞かれることだけど、「君は子供の頃サンタクロースを信じていたのかい?」と言う質問は中々答え方に困る。半信半疑だった気もするし、信じていなかった気もする。一回まじめに考えてみたことがあったが、そのときは「どうやって24日の夜のうちに世界中にサンタクロースはプレゼントを配るのだろうか?光速並みの自家用ジェット機か超精密誘導のミサイルがあるとしか思えない」なんて思ったりしたものだった。サンタは複数人数からなるグループの総称なのかもしれないなんて思ったりした日もあった(何かそんな数学者いましたよね?)。

しかしこれに今日明瞭な答えが出てきた。それは、「25日の朝にはプレゼントが枕の所に置かれている」事は信じていたが、サンタクロースがいるかどうかはどうでもよかったという事だ。(まるでstataにコマンドを打ち込めば説明変数のどれが有意でどれが有意じゃないかは分かるが、内部でどうやって計算してるかには全く興味が無い人のようだ。)簡単に言えば、あまり信じていなかったという事になろう。

しかしこれには大きな問題があって、考えてみれば分かると思うが「サンタクロースを信じている」としないと親とのプレゼントの交渉において支障が生じる。あれは「サンタクロースはいないと普通に考えればそう思うが、いるとしないとプレゼントがもらえない」が為に、「たとえ信じていなくても信じているフリをしなければならない」場面なのだ。子供は得てして大人よりプラグマティックで合理的なときがある。

対照的な例を考えよう。サンタではなくて、神様を信じていたかどうかという問に変えてみた。僕にとっての答えはNoだ。サンタの例と明らかに違うのは、「神様を信じても何も得は無い」事だ。どちらも似たようなもので、存在を確かめる方法は無いし、(そういう意味で)存在しないのにも関らず、サンタは信じて神様は信じない。それはプレゼントの有りや無しやで決まるのだ。これをプラグマティックと言わずして何という(笑)

しかし今や齢20になった僕は、サンタクロースを信じることは無い。それは勿論そんなものが存在する証拠が無いという事からだけではなく、信じることで得られるプレゼントは最早無くなってしまったからでもあるのだ。


余談だが、サンタクロースが煙突からやってくるかのようにするはやめて、クリスマスの日には親がサンタクロース的な何かになるんだよ、みたいな話にしてしまえばいい気がする・・。そうすれば「あの子はサンタクロースなんていないって言ってたけどホントなのー?」「うちに煙突なんて無いからサンタは来ないんだー」と泣き喚く健気で面倒な子供はいなくなるのじゃないだろうか。

2007/12/24

今日もなんだか

最近寝るのが遅くて起きるのも遅いから、冬の日照時間だとなかなかお日様を見れないわけですけど、今日は何とか昼に起きたのでいい空を見れたわけで。

今日はちょっと服を買うのと液晶モニタを物色しに池袋に行ってみた。しかし池袋のビックカメラのパソコン館には余り種類が揃っていない感じで(特にBenQを見たかったのだけど無かったのが痛かった)、ちょっとげんなり。おとなしく秋葉原に行けばよかった・・。


その後駅の自動販売機と格闘して何とか年末の新幹線の席をゲットしようとしたのだけど、30-31日は始発か終発くらいしか禁煙の指定席は空いていませんでした。おとなしくでかいスーツケース抱えて自由席の列に並んで帰ろうかと思います。

以前ブログで「東海道新幹線はスーツケースを置く場所が無くて困る」と書いたのですけど、それが僕の帰省に未だに付きまとっています。しかし別の問題もあることに今日気がつきました。

それは・・・「どうして禁煙車の方がほぼ100%先に予約が埋まるのに、喫煙車の両数を減らして禁煙車の方に回さないのか?」という事です。僕みたいな人は喫煙車に座るくらいなら、立ってでも禁煙自由席のデッキでスーツケースに腰掛けて名古屋まで行きます。しかし禁煙車が指定で取れれば取るので、JR東海も指定席料を儲ける事ができます。まぁ大抵こういう年末年始などの繁忙期は喫煙席も席が一杯のような気もしますので、JRは結局儲ける量は一緒でしょうけど。

推測するに、東海道新幹線はヘビースモーカーを取り込もうとしているのではないかと思いましたが、新しい新幹線では喫煙車はなくなったそうです。喫煙スペースはあるようですけど。なんだか良く分かりません。


まぁそれもこれも31日までには実家に帰れだの、1日の日は顔を出せだのという話に付き合わないといけないからと言えばそうなのですが・・。僕が年を取るころにはそういう習慣もなくなっているのかなーと思うと気が楽ですけど。


最近知ったstataコマンド;
probitやらlogitやらを走らせた後にmfx compute, at(x_1=a x_2=b...)と打ち込むと、atで指定した値での各変数が非説明変数に与える限界効果を出す事が出来る。危うく手で計算式を打ち込みそうだったけど、やっぱりあるよね、こういうコマンド。詳しくはヘルプを読むべし。

2007/12/23

面白き事もなき世を面白く

ここ1日くらいで面白かった事;

・内面的にどうのこうのと言う話はさておき、すくなくとも僕が良く表面的に「冷たい人間だ」と思われる原因の一つは、言葉が話し言葉が書き言葉化している事に原因があるらしい。例えば8割賛成、2割反対と言う心中があるとしたときに、「こことここは良いが、あそこは問題がある。」と言うのと、「それ凄いいいね。ホント良いと思う。・・・あ、でもここちょっと気になるかも」と言うのが違うように。

・The Economistの投書欄に載っていたのだが、教育の効果をクロスカントリーで調べる時に、その国の教育で使われている言語の性質を考えると言うのも面白そうだ。例えばハングルのように発音が簡単なletterを使う国と英語のようにつづりが同じでも発音が違ったりするややこしい言語を使う国だとか。まぁどのように代理変数をとるかとか、結果からどのように政策を導くかと言う問題はあるけれど。(例えば明らかに日本語は面倒な言語であるけれど、それが教育の効果に影響を与えているからといって漢字を無くせだとかいうことはかなり問題があるわけで。あ、でも中国は確か漢字を簡略化したりしているなぁ)

・池田信夫blogやら宮台真司blogでも触れられているが、2007年の流行語大賞にノミネートされていたと思われるKY、空気読めないだが、こういう言葉が流行する辺りが、なんだかこの社会をイマイチ好きになれない理由の一つ。まぁでも大抵周りの人は「空気読めないのは困るかもしれないけど、敢えて空気を読まないことが必要なときがある」という風に考えているようなので、それで正しいと僕は思うのだけど。

・宮台真司の言う「学問に学際的もくそも無い。あるのは横断性であり、複数の専門性を連関させる事だけだ」というのは非常に共感できる。進振りで教養学部に行くという選択肢を選ばなかったのも、こういう感覚があったからでしょう。この後専門性を増やすのかどうか未定ですけど。

・昔国語の授業が文学鑑賞としての「文学」とメディアリテラシー教育としての「言語」だったというのは知らなかった。「言語」が消滅して今の国語になったと思うと、なんだかスッキリと理解できる。「言語」は復活しないのでしょうかね。

2007/12/21

うーん

今日はゼミでFWの結果発表。といっても僕がしたわけじゃないのですけど。意外と先生の評価が高く、修士論文でありそう、という好評価をもらった。よくよく考えれば使ったお金・人・リソースは並の修士論文以上なのだろうから、それなりのものを作らないといけないなわけだけど。まぁこれからの事を考えると、もうちょっと細かい所を詰めないといけないのだけど、ようやく5,6月辺りからはじめたFWがそろそろ論文になろうとしているのかと思うと、感慨深いですねぇ。2007年度のほとんどをこれと付き合ったわけですか。

明日は総会ですか。一年間経ったんですね。

2007/12/20

会話時の挙動

なんだか最近良くあるのだけど、例えば先生に何かを質問した時に、先生の返答が長い場合頭に入ってこない部分があったりするわけで、非常に失礼だとは思うけど、どうしようもない気もする。きっと何かを考えているから人の話が聞こえないのだ・・。

この前言われてそうなのかなぁ?と思ったことの一つに、「たいてい納得していないような表情を見せる」という事がある。確かに大勢で何かを話し合って何かを決める時には、そんな表情をしているような気がする。しかし決していつも納得していないわけではなく、その選択は選択肢の中では最善だが改良すべき点が多々あるな、なんて考えている時もあるわけで、多分そういう時はしかめ面をしているわけだ。

後もう一つ言われたことは、「知らないことを知ったかのように話す」能力が無いらしい。ちょっとでも頭に引っかかる事があると顔に出るとか。まぁそういう能力が必要かどうかは知らないが、某銀行職員はそういう能力に長けているらしい(笑)

おまけにですが、最近人に言われたことで他に面白いなーと思ったことがもう一つあって、それは「意外と人生前向きだよね」だ。意外と、とは失礼な・・・。人生後ろ向きに生きた記憶は無いが、一体そんな僕のどこから「人生前向きじゃ無さそう」というイメージが得られるのだろうか・・。テンションの低い人間が人生後ろ向きとは限りませんし、逆もまた然りですよ。


さてそろそろ年末ですけど、春休み何しようかなー、なんて。勉強も勿論ですが、やはり長期間とって何かをできるのは休み期間のみなので考えておきましょう。旅行もいいけど、何か魅力に欠けるんだよな・・・。

2007/12/19

四苦八苦

(0136一部改訂
どうも最近気分が乗らないので、どうせならと思いbeamerとやらをインストールしてみた。おもちゃをいじるのは面白いからね。

しかしこのbeamer、中々厄介な事があって、一番使いたい機能であるスライドのtree構造などをスライド上部に表示させる機能が何故か使えない。出来上がったPDFを見ても各スライドのタイトルの上は何故か白いまま。普通に\usetheme{frankfurt}などとすればいいはずなのだけど。

思い当たる原因は、普段meadowのyatexモードでdvipdfmxをC-c, t, lの印刷にあててpdfを作っているのだけど、どうやら色々ググッてみると直接pdflatexで作るか(日本語は入れられないが)、dvips→ps2pdf or Ghostscriptでpdf化するのがよいらしい。しかし今更慣れてきたyatex上での操作は捨てられないし、dvipsとやらも動かしてみたのだけど使った事が無いためかエラーがでまくる。うぎゃー。日本語が嫌いになる・・・。

ちなみにdvipdfmxを使おうとしてるサイトでは大抵ナビゲーションシンボルを消す命令をプリアンブルに入れているわけで・・。事実、dvipdfmxで作ったpdfの右下にはシンボルは表示されますが、クリックしても何も起こりませんので不要ですね。

まぁプレゼンなんて暫くする必要は無いのだけど、特に長いプレゼンをするときは絶対あのtree構造なり何なり、今何が話されているのかを全体から把握できるものがあったほうがいいと思うのだけど。powerpointだとその辺いちいち書き込まないといけないのかと思うと若干凹む。

2007/12/18

unexpected

まぁ大抵予想外のものに出くわすと、驚きだったり笑いだったりが起きるのだけど、今日はその両方が。

一つはコアミクロのTAのホームページで、いつもそっけないデザインのに、なんと急にクリスマスデザインになっていた・・。いくら院生の生活に彩が無い?といっても、そこをそんな風にしなくても・・・と思った。

しかしそんなものは序の口で、もう一つはサークルの先輩で、今年から某大のPh.Dに行かれた人がいるのだけど、その人の大学の中のホームページを見て吹いた。冒頭の写真だけではない、C.V.も見るべきだ(特にサークルの人)。あれがクオリティというやつなのだろうか・・・?

こんな小さい事でさえ記事にしてしまう自分の方が生活に彩が無いというのはさておき。

2007/12/17

赤と黒

昔そんな焼肉のたれがあった気もするけど、そうじゃなくて。

今日ゼミのメンバーでパワポのデータを共有したのだけど、いつも使ってる自作のスライドデザインを使ったら、メンバーに「とても君らしいアピアレンスだ」と言われた。別に何も複雑なデザインではなくて、白地に下のほうに黒のバー、そこに赤文字で名前等々。

一体どこが僕らしかったと思われたのだろうか?生憎、僕は誰がどんなスライドを使っていても「あいつらしいな」と思えるかどうか良く分からない。色のイメージなんて無い。あいつは青色だ、とかこいつは茶色だ、とかあるのだろうか?それとも色の組み合わせ?

幼少の頃は好きな色は紫だった。赤とか青とかそういう色はあまり好きじゃなかった。小中高と色にはあまり興味が無くなった。聞かれたら適当に「青かも」とか言ってた気がする。そして今好きな色は?と聞かれてもこれもまた難しい。色が見た目を意味するのなら素材も重要なはずで、例えば同じ色でも毛糸とアクリル板では僕は断然アクリル板。むしろ色より素材のような気もしてきた。どうでもいいといえばいいのだけど。

今日は夕食前に書籍部に行った。昨日書いたように本が読みたくなったのだけど、いざ行ってみたらなんだか買う気がうせた。今更レヴィナスとか読んでも頭が痛くなるだけのような気もするし、村上春樹なんか読んだら生きる気力がなくなりそうだし、そもそもそんな物に目を使う暇があるなら勉強しろと言う話で。


帰ってテレビをつけたら夕方のニュースをやっていた。普段あまり見ないのでどんなニュースがあるのやらと思って見ていたら、「イケメンシェフのいる!美味しいレストラン!!!」的な企画をやっていた。・・・これはひどい。バラエティならまだしも、何もニュースの時間にやら無くても。どうでもいいが個人的には「イケメン」という言葉はなんだか好きではなくて、「ハンサム」という古風な言葉の方がいい。なんだか「イケメン」という言葉には軽さが付きまとう・・。あくまで語感ですけどね。

2007/12/16

こんなに

冬の青空は一際澄んで見えるので、こんなに晴れた日は気持ちのいいところで座って本でも読みたいと思うのだけど、何だかんだで起きたのが昼で、結局一日家にいるどうしようもない大学生。

師走と言う名前の由来もなるほどなぁ、という具合に、12月は忙しい月。年末は色々と行事があったりして、その準備に追われたりする人も多いはず。そして気がつけば新年。

なんだか年に数回、無性に教科書の類が読みたくなくなる時があって、大抵それは長期休暇の波と共にやってくる。今日はそんな日。何もしてねぇ・・・。

レポートでもやるか、と思ったけど変分法と最適制御を詳しく知らない為、諦める。動的計画法しかやってないっちゅーねん。しかも出典元の論文をもらってない為、どうしようもない気がする。Samuelsonの論文なんて出た年号と雑誌分かってても特定できるのかなぁ?下手したら年数本載ってそうだよ?これは真面目にやらないとレポートも書けなさそうだ・・・。

たまには日本語の数式が出てこないような本も読みたいなぁ、なんて思う今日この頃のボヤキでした。何か面白い本を探して、栄養補給的にさくっと読んでしまおうか?

2007/12/15

信じますか?

今日はインゼミでした。何となく思ったこと箇条書き。

・ほとんどの学生は経済学を学びたいと言うよりは経済を学びたいと思っているみたい。だからイマイチ議論などがかみ合わない。

・うちのゼミは三年からだけど、他のゼミは二年からという所もあるらしい。しかしそうすると色々と学力の差などが出てきて、ゼミによっては週2コマとって学年別とかにしているらしい。サークルで以前、駒場で活動が実質的に終わってしまう事が問題になっていたが、四年間同じサークルにいると言うのもなんだか閉塞感がする気もする。3つ上の先輩と一緒にミーティングをするのも中々難しそうだし。上手く閉塞感を排除しつつ、でも上手く引き継がれていくシステムなんて都合のいいものは無いのだろうか。

・やはりうちのゼミの先生はかなり親しみやすい人だという事が判明。

・院に進もうとしている学生は少数。計量をやっている人も少数。

・久しぶりにいわゆる学生が行きそうな飲み屋に行った。あれは疲れる・・・。やはりお酒は静かな所でまったりが一番。


で、話はちょっと変わりますけど、今日とある宗教の勧誘?にあいました。僕ははっきり言うと、いわゆる宗教は好みません。「どこの宗教?」と聞かれたら「無神論者」と応えます。かと言って宗教的なもののを全く読もうとすらしないというわけでもありません。「どんなこといってんだろ」という興味はあるわけです。

しかしそれでも宗教を信じる人はあまりいい友達になれそうにありません。何故かといわれると思いつくのが、例えばその人がした事についてその理由を問うた時に「神の思し召し」的なことを言われると、なんだか気分が悪いと言うのが一つかもしれません。実際そういう人にはあった事がありませんが、以前何かの弁論大会で「これは私の天命です」とか言いながら有機農業かなにかの大切さを必死に説いていた女子高生がいて、「正直これは無いわ」と思った記憶があるので、あのような人は多分良い友達にはなれないでしょう。

でも、身近であまり敬虔な~教徒って人がいないので何ともいえませんが、たまたま友人になったら一度つっこんで聞きたいところではあります。正直どう思ってるの?って話で。例えそれで絶縁関係になっても(笑)

2007/12/14

上から

今日は恒例のゼミでした。最近は卒論の発表に時間が割かれているので、三年生は準備する事が少なくてある意味楽ですが。

でまぁこれまた恒例の飲みで、今日は一応忘年会だと言う事だったのですが、なんだかもう年の瀬なんですねぇ、という感じであっという間に一年も忘年会も過ぎていきましたとさ。参加できない人もいたのは残念でしたが、とりあえず一年の締めくくりとしては沢山人がいてよかったのじゃないでしょうか。(院の先輩もいましたしねー

そんな飲み会で言われた事なのだけど、僕は基本的に上から目線だそうです。まぁそうでしょうね、決して下から見ようとはせず、同じラインから見てもモノの横側しか見えないので却下で、大抵真面目な時は頑張ってでも上から見るようにしています。別にそれで友達が少なかろうが(笑)いいわけです。僕にとっては上から見てどうなっているかの方が重要で興味があるので。それに下から見てると、自分に上限ラインを作ってしまうようで気分が悪い。

こう書くと分かりづらいので、簡単に言ってしまえば、「これ大変だったでしょうーわかるよわかる」と共感するより、「ここが甘い」と思うことを探したり言ったりする方が重要だと思うわけです。そもそも共感してくれる人は僕なんかよりもっと他の人がいるものでしょう、大抵。僕は共感能力があまり無いようですので比較優位を発揮しなければという事ですかね。(アダムスミスに怒られそうですね笑

でもまぁなんだか最近自分の倫理観に何かしら問題があるのじゃないかという気もしてきたので、いつか時間が出来たら再構築を求めて書籍でも読み漁ろうかと思う今日この頃。そもそも自分の倫理観を構築するのに本を読む辺りが間違っているのだろうか?あぁ、なんだか気分が悪い。


あぁ、あの後色々考えたのだけど、自分が楽しいと感じる時は勉学関係を除くと、人と真面目な雑談をしている時ですかね、という事に落ち着きそうです。遊園地に行ったりするよりもそちらの方が面白い。他人にあまり関心が無いといっても、他人が考えているものには興味がありますからね。


p.s.
この前書いたtrust gameの事だけど、考えたのを先生にちょっとゼミ後に相談してみたら「面白いんじゃない?」という感じだった。一度調べて類似のものが無ければゼミ論か何かにしてみようか。僕自身では実験そのものは出来ないので、そこはどうしようもないのだけど。

さらにp.s.
あの、僕は決して来年度ゼミをやめようなんて思ってませんので(笑)。関り方は色々と考えるかもしれませんが。むしろ先生の温情採用で入れさせてもらった身?なので、来年もいさせてください・・・という感じです。

2007/12/12

世間知らず

少年時代だけではなく今でもそうですがね。

今日授業で「欧米人は基本的に仕事が嫌いなんだよ。だから効用関数がU(c(L), L)でLの減少関数になってるんだよ」という事を言っていた。まぁ確かに。

前も書いたと思うけど、仕事をすることで賃金upによる消費ではなく、直接効用が上がるのは中々難しい事で、そういう意味で仕事を通した自己実現は結構困難なんじゃないかなと思うわけだけで、一方上記の効用関数は基本的に消費を通して、もしくは余暇を増やす事で効用があがる仕組みになっている。これは消費による満足感ってのに対応しているわけか・・。確かにバカンスとか言って2ヶ月くらい休む人たちが、仕事が好きで好きでしょうがないって言うわけでもなさそうな気がする。

もう12月も13日なんですね。23日までは毎日何かしらあって、26日はクラス会があるので、27日以降に実家に帰ろうかと思います。(24-25に飲み会が入らないのは文化的な要因でしょうか?

とりあえず、目の前の事を一個ずつ・・・

2007/12/10

信頼

以前ゼミで読んだ論文の中でtrust gameが出てきて以来、なんだか釈然としなかったので、先ほど適当に検索をかけてみたら「ああやっぱりな」という次第。

何の話かというと、trust gameでは信頼とリスク回避を区別して認識できないのじゃないかという疑問があったのですが、そのあたりは既に研究があるようです。

知らない人に少しばかり補足すると、trust gameとは簡単にいえば以下のようなゲームをいいます。プレイヤ−1は実験者から与えられた金額のうち、いくらかをプレイヤ−2に預けることができます。すると預けた分が3倍に増えるのですが、プレイヤー2がどの程度1に返すかは2次第です。つまりプレイヤ−2は預かった分を全額独り占めもできますし、増えた分を折半することもできます。

で、部分ゲーム完全均衡を求めると、プレイヤ−2の最適反応は「独り占め」なので、プレイヤ−1は「一銭も預けない」が最適反応となります(backward induction)。しかし預けた分が三倍になるのですから、社会的にはこの均衡はよくないねーということです。

これは名前の通りどの程度相手を信頼するかを測るゲームとして有名なのですが、僕が感じた疑問は「いくら相手を信頼していても、リスク回避的な人間はお金を渡さないのじゃないか」という事です。逆に言えば「あんまり相手を信頼していなくても、リスク愛好的な人間はお金を渡すのじゃないか」という事ですね。ゼミでもそんなことを言いましたが。

で、先ほど落としたSchechter(2007)によると、この種の疑問は既に提示されているようで(trust game自体が1995の論文で、2004には遅くとも提示されているようです)、どうやって区別して認識するかもいろいろと考えられているようです。うーん、せっかくこれでゼミ論でも書こうと思ったのだけど、既にやられていると若干微妙な感じがしますね。でももうちょっと掘り下げてもいいかも。

テスト前になるとこういう逸脱行動をするのは、昔保健体育かなにかで習った「逃避行動」の類いかもしれませんが。

Reference;
Schechter, L., 2007. Traditional trust measurement and the risk confound: An experiment in rural Paraguay. Journal of economic behavior & organization 62(2), 272-292

2007/12/09

すれ違い

今日は後輩に飲みに誘われていたので、集合場所の下北沢にて昼過ぎから喫茶店で勉強。下北沢も北口の方は割りと落ち着いた感じで、結構好きになりそうな雰囲気ですが、如何せん遠いのが玉に瑕。東京の東側にはあんまり無い雰囲気かもなーと思いながらも、わざわざ出向くのも面倒です・・。

で、飲み会でまたくだらない事を話していたのだけど、どうやら真剣になると人とすれ違う事が多いようです。今日すれ違ったお題は「メールの絵文字をどう思うか」「初詣」「某掲示板で盛り上がっている人たちをどう思うか」「さおだけ屋」といったくだらない事ですが、それでもそういったくだらない事での違いは面白いほど鮮明に浮き上がってくるものです。

こう書くと不親切なので、ちょっと付け加ますと、例えば絵文字だと僕は基本的に不要というか大抵目障りとすら考えていて、逆に皆はあってもいいと考えているようでしたけど、そこの違いはメールと言うものに乗せる情報の違いから生まれるという事が分かりました。僕は基本的に業務連絡的なことしかメールで送らないので、まったく以って絵文字は必要ないのですが、普通の人はメールに感情を乗せて送るようで、そういった意味で絵文字が必要になるらしいです。それでも僕は絵文字、特に意図不明な絵文字はあまり好みませんけど。冷たいほどの無機質っぽさが僕には丁度いいのです。

まぁ初詣は僕が個人的に行く習慣が無いといっただけなので、何も付け加える事がありません。皆さんは友人と初詣に出かけるものなのでしょうか?少なくとも僕は友人と行った覚えはありませんが・・・。もう季節のイベント関係で驚かされるのは慣れました。一般的な日本人はクリスマスにはパーティーに参加し、誕生日にもパーティーを開き、豆まきの日には豆をまき、夏には海に行き、冬にはスキーに行き、ひな祭りの日付は間違えずに言えることは重々承知しました。今更初詣くらいで驚くのも野暮といった具合です。

某掲示板はまぁいいや。僕は基本的にああいう世界はあまり好みません。ニヤニヤ、もといニコニコもあまり好みません。まだ不気味さが拭えないといえばいいのでしょうか?ネットはガンガン使ってるけど・・・・。

さおだけ屋は僕自身は読んでいないので、以前読んだyyasudaさんのエントリの内容の機会費用の部分を少し紹介したのですが、どうやら皆さんはどうしてさおだけ屋なのか?という点、つまり機会費用の部分にはあまり興味を示さなかったようです。なんとなくだよ、と言われてしまい、イマイチ問題点の重要さが通じず(決して上記のエントリのせいではありません。僕個人の問題です)。しかし何となくだよと言われてしまうと経済学のほとんどが破り捨てられるわけで、その何となくの裏側に何があるのかを探るのが重要だと僕は思っているのですが・・・。


そしていつも非難されるのが、僕が人間感情の機微とかいうものをそのまま受け入れようとしないことだそうで、どうやら感情と言うものの類は頭で理解するものではないようです。そして「それはどういうことなの?こういうことなの?」と言っている意味を断定する為に聞き返すことでも無いようです。それでも頭で理解しようとする姿勢が僕にとって重要なのですけど、それはあまり普通には共感されないようです。挙句の果てに「お前が恋愛する様子を見てみたい」と言われる始末。まぁ確かに僕が人に「ぞっこん」にならない理由の一つがこれなので、いい線いってると言わざるを得ません。

なんだか適当に人と付き合うことに慣れてきたので、こういう事でエネルギーを使うのも勿体無いのかもと思うのですが、せめて気心の知れた人たちとは自分の思ってることをそのままぶつけられないと、自分も終わりかなぁと思うのでやはりガンガンぶつかっていくこのスタイルでいいという事にします。毎回そういう結論ですが・・・。

なんだかそんなわけで今日は無性に疲れて気分が悪い。しょうも無い話で時間を取ってしまった後輩に申し訳なさを感じつつ。気合を入れなおそう・・。

p.s. ふぐの骨酒は美味でした。

2007/12/08

今さらですが

気が付けば12月も中旬にさしかかろうとしていますね。なんだか最近は時が経つのが早くて困ります。そのうちすぐに春がやってきて、またすぐ夏がやってくるのですかね。その前に正月もありますね。


なんだかこれもまた恒例なのですが、人にどう見られているかをたまに聞くと結構興味深い結果が出てきて個人的には好きなのだけど、今回はまた「テンション低め」「アンニュイ」といったいつものイメージが返ってきました。もうその結果には慣れてきたので、そろそろこの評価は定番だと考えていいのでしょう・・。考えてみると、おおなるほど、と思うこともたまにあって、例えば僕は言葉を出そうとする努力はするけど、感情そのものを表に出す事はあんまり無かったりします。だからテンション低めと言われるんですね。もうこれはどうしようもないし、変える必要も無いのでこのままで行きます・・。

しかしこれでも結構感情の波が出てきてるなーと思っている中の結果だっただけに、ちょっと意外。普通の人はどれだけ感情豊かなんでしょうか?一度頭の中を見てみたいものです。

何となくテレビを見ていたら、女性バラードベスト30的な企画をやっていて聞いてたら、一位にLOVE LOVE LOVEがランクインしてました。確かにカラオケとか行くと今でもランキングにのってる気がするわ・・。でもどっちかと言うと未来予想図IIの方が人気があるのかなーと思ってたけど。

あー徳永英明が歌ってる・・・。この人の声は好きですね。

2007/12/06

最近キャンパスの木々が葉を枯らす時期になってきて、道には落ち葉の絨毯が出来ては風に舞い上がる日々。個人的にはあの敷き詰められた落ち葉は風景として美しいモノだと感じている。

あれを見ると小学校のときの事を思い出す。ウチの小学校には、いや恐らくほとんどの小学校にはいると思うが、教務担当みたいな人がいて、担任を持っているわけでもなく、かといって副校長や校長でもない、まぁ簡単に言えば生活指導の先生みたいな人がいた。ご多分に漏れず、そういう役回りの先生は保守的なので大抵嫌われ役で、僕もはっきり言って煙たい人だと思っていた。何度も叱られたりしたのだろうが、全く心に残っていない。

クラスの掃除当番と言うのは大抵持ちまわり制で、教室からトイレから外から、班毎に担当を交代しながら回っていたのだけど、たまたま今みたいな季節に外の掃除の担当になって、ウダウダと運動場の横にある庭のような所に行った事があった。当然監督する先生が掃除場所にはいるもので、外の担当はその教務担当の先生と決まっていた。その先生がいつも長い枝バサミを持って気の手入れをしている様が、最早教師と言うより盆栽好きのじじぃじゃないかと思わせるほどだったのは当時の児童がある程度コンセンサスが取れるところだと思う。

で、僕が庭の掃除を手早く済ませて散歩でもしようと思っているところに、その先生が来た。彼曰く「まだ全然出来ていないじゃないか!この落ち葉を掃きなさい!」だそうだ。暫く僕は考えてしまった。人が通るような所でも無いこの庭の落ち葉をわざわざ掃除して、燃やす事に何の意味があるのだろうか・・?別に僕は「自然のものは自然のままで」とかディープエコロジスト的な事を言いたいのでも何でも無かったが、「何とはなしに落ちている落ち葉」が好きなので、結局ロクに落ち葉も掃かずに帰ってしまった。班の同級生には「サボるな」と言われたが、「別にいいんじゃね?このままで。十分綺麗だと僕は思うけど。そもそもこれを掃除しようという発想が良く分からない」と言ってさっさと散歩に出かけてしまった。後日こぴっどく叱られた気がするが、全く応えなかった。はっきり言ってしまえば、子供ながらにその先生のことを馬鹿にしていたので、議論しようとする気さえ起きなかった(その態度は良くなかったと今では反省しているけど)。だから心に残ってないのだ。

美的感覚なんてものは人それぞれ本当に違うもので、その事によって現実的な問題が起きていないとするならば(例えば自転車が通るところでスリップが置きやすくなるとか)、結構あの掃除をしろというのは難しい命令だったように思える。彼の最大の失敗は、庭は掃除すべしという命題を何の説明もなく僕にただ繰り返しただけだった事だと思う。いや、その類の失敗は彼だけではないか。

せっかく落ち葉の美しさで書きだしたのだけど、思い出しついでにもう一つ。良く友人に「変わった小学生だったんだね」と言われるが、恐らく元来そういう性格だったという事だけじゃなく、親の教育がそうさせたというのもある。うちの親はHousehold decisionに於いて大抵僕の意見やその理由を求めてくる親で(勿論金銭的な話とかヘビーなネタはふりませんけど笑)、そういう意味で懐の深いというか、変わった親だった。そのおかげで、あまり規則等を押し付けられた記憶は無いし、むしろ一緒に規則を作るタイプの家庭生活を送ってきたと思う。そんな僕なので、「お上」から与えられた説明なき規則や命題には従順でいられなかったのではないだろうか、と自己分析。まぁそれが良かったのかどうなのかは知らないが、僕はそれで良いと思っているのでいい事にする。

しかし結局赤い紅葉は見れなかったなぁ、今年も。駒場も本郷も銀杏だからか。昔京都の紅葉を祖山参拝で見に行ったのが懐かしい。来年の今頃は少しは余裕があるだろうから、車でも借りてどこかに紅葉を見に行こうかと思う。

2007/12/05

no music no life?

音楽をあまり聴かなくなった気がする。昔は良くCDを借りてきてiPodに入れていたりしたけど、最近はそれもめっきり。

たまには確かに通学途中や昼ごはんを買いに行く時、そしてしばしば食べる時もイヤホンを耳にはしているけど、なんだか聞いているわけではない、ただただ流れているだけの音楽に頭が痛くなるときもある。音楽を楽しむ心が薄れてきたのだろうか?

それでもテレビを付けて音楽番組をやっていると何となく見るときがあるわけで、今日はそんな日。昔の歌も流れていたけど、布施明とか「津軽海峡冬景色」とかが妙に印象に残った。演歌でも好きな歌はちらほらあるなぁ・・。「天城越え」も好きだし。

演歌って気のせいかもしれないけど、地方のご当地ソング的な、地名が入ってたりする歌が多い気がする。時代のせいかもしれないけど、各国の都市人口比率とか地方から都市への人口移動の大きさとかと、ヒット曲に地方を連想させる曲があるかないかってのは相関がありそうだ。

そんなことを思いながらitunesを開いてシャッフルさせると、レミオロメンの3/9がでてきた。何となく聞いているとサビに
「瞳を閉じればあなたが瞼の裏にいる事でどれだけ強くなれたでしょう」
という一節が出てきた。この「瞼の裏にいる」という表現が気にいってて、何となく目を閉じた時にふと思い出したんだけど、いつものあのmedia playerとかの視覚エフェクトみたいなもやーっとしたものしかでてこなかった(笑)。まぁ多分今瞼の裏にいるのは人間じゃなくて明日やる事とか、明後日やる事とか、そんな類の事なんでしょうけど。

明日も一日頑張りましょう・・。


ちなみに別の曲ですが、もうひとつ気になったフレーズは
"No communicaton, no love"
ごもっとも。

2007/12/04

慣れとは恐ろしき

今日計量の先生が役人だった人を講師に招いて、授業で統計法の云々とかを話してもらったのだけど、あまりのつまらなさに開始五分でノックアウトでした。どういう法律があってどういう組織があって、なんて話をずっとされたのだけど、あれは無理だ。法学部の人ならああいう授業も付いていけるのだろうか?

最早僕の中ではああいう話は今から自分が飛び込んでいく世界のことで無い限り(勿論研究対象という意味でもありうるのだけど)、聞くに耐えないなぁと。というか、もう日本語だらけの文章は読めません。特定の種類の文章(論文とか教科書とか)しか読まないせいで、ああいういかにも官僚的な情報を読むのが苦手になってしまいました。

それでも自分が勉強している事は嫌いにならずに、むしろ好きになってくるので、やはり研究者向けなのかもしれません。

明日はおじいちゃんの授業ですね。

2007/12/03

ハミルトン

ハミルトンと言うと時計メーカーかF1のルイス・ハミルトンか、というのが普通だけど、健気な経済学部生にとってはハミルトニアン関数の事かマスコレルと並ぶ鈍器もとい厚い教科書、Time Series Analysisのハミルトンなのである。(健気な経済学部生シリーズ第二弾)

で、今日は後者のハミルトンで、来週国際金融のテストだからもくもくと読んでいた。厚い本は大抵説明も親切なのだろうか、分かりやすい(といっても第三章までしか読んでいないが)感じで理解に一役買った。思ったよりヘビーではない(すくなくとも第三章までは)。

うーん、来年の日程を考えていたらいつ卒論なり院試用の論文なりを書くか良く分からなくなってきた。院試用のやつはゼミ論を出しておいて、卒論は夏休みに書くとしようか・・。


話は変わるけど、今日先生が自分が院生だったときの話をしていました。その時ハーバードのTAだったSala-i-martinが作った成長論のレジュメを読み込んでいたそうだ。まさに今おじいちゃんの授業でやっているような、均衡点辺りで線形近似して安定性条件云々かんぬん。確かにトップスクールのTAセッションの資料があると役立ちそうだな、とは思うけどどこからゲットするんだ?そんなの。しかし先生が「当時の私は魅了されました。数学がちょっと出来る日本人の学生にはお誂えの分野です」と言われ、成長論で卒論を書こうと思い出している僕はドキッとしてしまいました・・・。なんだか皮肉っぽいんだもの(笑)

ちなみにSala-i-Martinは先生も言ってた通り、ちょっと変な人でした。ホームページを見れば分かります。奇天烈とはまさにこのこと・・・。

追記
このSala-i-Martin、なんと僕が贔屓にしているFC.Barcelonaの代理会長をしていたとか。丁度ラポルタの前ですね。うーむ、ますます良く分からんけど、多分カタラン人だということは分かりました笑

2007/12/02

私だけ

韓国のナショナルチームのユニフォームを見ると、ドカベン的な香りを感じるのは私だけでしょうか?あの"K"が非常に昔の野球漫画を思い出させる・・・。

昨日今日とベイジアンゲームを色々考えてた。なんだか釈然としない事がたくさんあってウダウダ。こんな所で躓いていると良く無いなぁ、とは思うのだけど、躓いた以上どうやって起き上がるかが重要なわけで。うーん。なんだかゲームとか均衡の名前に惑わされてる気もしてきたぞ・・。

だからまぁそんなこんなで何もしていないので、日記もそんな感じで。