2009/03/16

Merzuga 2 - Fez - Meknes

早朝、朝日を見るため砂漠に向かった。ラクダに少額払えば乗れるという事だったが、手持ちのディルハムがあまりなかったのと、どうせだから歩きたかったというのもあって断った。ラクダに乗ることよりも自分の足で砂漠を歩くことの方がより希少じゃなかろうか。年を取ったらラクダに乗るだろう。
なんというか、そりゃあそこに突然放り出されたら、いないはずのアラビア人も見えるわ、という具合。

--よかったな!」
--何が?」
--あのアラビア人たちさ!」
--どのアラビア人?」
--あそこに、きみといっしょにいるあのアラビア人たちさ!……」
(中略)
--アラビア人なんか、一人もいはしないぜ……」
どうやら、今度こそ、ぼくは泣きだすらしい。
「人間の土地」



朝日を見に行ったポイントで時間が出来たので、何気なくベトナムに残った友人に電話をかけてみた。そろそろあちらは全日程終了の頃合いだ、と思いかけてみると友人の携帯は不通だったがリーダーの携帯がつながった。しかしよくよく考えるとどうして砂漠の中で携帯が通じるのだろう、そういう風に思った連れが携帯で話す僕を写真に収めていた。後で聞いた話によると昔フランス人夫妻がここで遭難したらしく、それを知ったヒラリー・クリントンが電波塔を建てたとか。かなり怪しい話だが、まぁ電波が通じたのは本当だ。

砂漠から戻ると今度はフェズまで一気に移動する。途中いろいろ寄ったとは思うが、大体寝ていたのでよく覚えていない。いい加減旅の疲れもたまっていたみたいだ。

フェズに着いたのはもう夜だったので、観光は次の日の午前のみだった。フェズのスークは巨大な迷路のように入り組んでいて、洞窟度はマラケシュのそれよりはるか上だった。中では驢馬?が荷物を運んでいる。中でもコカコーラを運んでいるやつが印象的だった。






フェズの青空は本当にきれいだった。王の墓やらいろいろ見た気がするが、青空の方が印象に残っている。あぁ、でも墓にあったモザイクはクオリティが高かったのは覚えているし、値段交渉に躍起になる同期たちも覚えている。確かに値切るのは楽しいかもしれないな。

その後メクネスによりマーケットなどを見た後、列車にてカサブランカへ戻った。途中列車がトラブルで駅に止まったまま動かなくなったので、プラットフォームで空気を吸っていたら、乗客のおじさんも一人降りてきたので情報収集を試みようと英語で話しかけてみた。するとこのおじさん、モロッコ人にしては珍しく英語の話せる人で、トラブルの原因はよく分からないこと、しばらくは列車が出ないことを教えてくれた。

どうせ暇だったのでしばらく話していると、お前は旅行が好きなのか、という話になり、去年はインドネシアに行ったと言うと、どうだ、同じイスラム国だけど何か違うか、と聞いてきた。言われてみてハッとしたが、あまりそういう視点を持ってこの旅をしていなかったので、少々答えに困ってしまった。そこで、あなたはどう思うんですか、と「質問を質問で返すなあーっ!!」と言われんばかりのセリフで返してしまったのだが、結構この話は面白かった。

おじさん曰く、モロッコのイスラム教はかなりゆるいらしく、インドネシアのほうがきついらしい。これはイメージとは逆だったが、言われてみるとインドネシアのほうがベールをした女性が多かったように思える。勿論おじさんバイアスはかかっているとは思うが、このことが事実かどうかはどうでもよくて、これを機に多様なイスラム文化に対しての理解を深めてもいいのではないかと思うようになったのだった。

おじさんがもうすぐ発車するという旨のアナウンスを教えてくれたので、僕はコンパートメントへ戻った。再び動き出した車内で、ふと「人間の土地」の一節を思い出した。サハラに迷った主人公が自分の死に関して思いを巡らすシーンなのだが、あれほど英雄的なパイロットが、自分の死を悲しむ人の顔を想像すると耐えられない(勿論英雄があるが故に自分の死そのものに対しては恐れは抱いていない)と言うのは、なかなかに新鮮だった。そしてまた別のシーンの、僚友が行方不明になった一節が思い出された。
何ものも、死んだ僚友のかけがえには絶対になりえない。旧友をつくることは不可能だ。何ものも、あの多くの共通の思い出、ともに生きてきたあのおびただしい困難な時間、あのたびたびの仲違いや仲直りや、心のときめきの宝物の貴さにはおよばない。この種の友情は、二度とは得難いものだ。樫の木を植えて、すぐその葉かげに憩おうとしてもそれは無理だ。

カサブランカには結局約2時間遅れで着いた。

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