2009/10/04

旧歓楽街

今日は浅草周りを歩いてきた。三ノ輪駅スタートで、吉原→昼食→浅草六区などの散策→向島百花園で月見。


吉原は言わずと知れた遊郭の吉原なのだが、今は大門の跡も特になく、見返り柳と変にくねった吉原への道が昔の面影を残すのみ。浄閑寺(投げ込み寺)にはうっかり行き忘れたので今度再チャレンジしたい。吉原神社には歴史の解説も載ってる地図があって、遊女二人の借金の記録だとか、それぞれの楼に所属する遊女の名簿だとか、まぁそんなのがあって興味深かった。とある遊女の借金が突然消えたのが理由不明だとか、嫌に細かい情報が載っていた・・・。

そうそう、何かで見たことがあるのだが、当時の遊女の平均寿命は22歳だったそうだ。浄閑寺の記録か何かを見ればわかるのだろうか、どちらにしても22歳は若すぎる。しかも苦難に満ちた人生だっただろうと推測されるので、齢22の僕としては神妙な気分で手を合わせることになった。
(後日判明したが、22歳説はかなり怪しいらしい。別にそれが嘘だからといって、大変な人生だったことに変わりはないと思うけども。)

その後割と有名らしい「千束いせや」で江戸風の天丼を平らげ、一路浅草六区へ。このあたりは花やしきがあったり、古い映画館(やってる映画も古くて怪しいものばかりだった)などがあったりで、一種独特な雰囲気がする。花やしきのアトラクションが建物の合間から見える光景はどこか「鉄コン筋クリート」を彷彿とさせた。聞けばこの一帯は高度経済成長期くらいまではかなり賑やかな歓楽街で、ビートたけしや萩本欽一などはここで育ったとか。江戸時代においても裏山と呼ばれた地域は見世物小屋などが並ぶ遊び場スポットとして有名だったそうだ。あの東京発の高層ビル?凌雲閣もここにあったようである。

しかし歩いていて、なんとなく路地には朝鮮系料理屋が多いなぁ、と思ったら、地元のおっさんが観光客を捕まえて垂れていた講釈でも、朝鮮系の人が結構住んでいるという話をしていた。外国人コミュニティの形成は興味深い・・・。


その後隅田川沿いでコーヒーを飲んだ後、向島百花園へ。昨日今日と中秋の名月イベントをやっていて、通常より大幅に開演時間を延長して、琴の演奏や行燈の点灯、お供え物の飾りなどを催していた。思ったより人が多く、茶会に出席すると思われる着物姿のおばさま方が列を作っていた。しかし小さいころに見た中秋の名月は、もっと大きくてもっと赤くて、今にも落ちてきそうな月だった気がするのに、今日見た月はえらく小奇麗に空に佇んで、ぼんやりと庭園を照らしていた。


ちなみに吉原と向島は実は永井荷風つながりだそうで、吉原の浄閑寺には荷風の歌碑があるそうだ。一方、向島百花園の最寄駅、東向島の駅は昔は玉ノ井駅という名前で、玉ノ井は荷風の作品にも登場する私娼街だったそうだ。永井荷風、何者・・・。

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