2009/03/30

延期

なんだかここのところ色々あって、あまり更新できずにいます。沖縄の旅行記や卒業関係の記事などをそのうちアップしたいのですが。きっと4月上旬には書けるはず。

とりあえず明日は本や論文を片手に花見の場所取りに行きます。

2009/03/24

今日は卒業式だった。また大学生活の振り返りは月末に譲るとして、今日は淡々と今日の事を。

午前中は文系諸学部合同の式だったので、うろうろしていた親友を発見。睡眠不足からだろうか、お互いうとうとしながら式の進展を見守った。

その後親子の写真を撮ったりして、夜また会おうと言って親友とは別れた。午後は学部の方の授与式へ。まぁこっちも淡々と式は終わった。終了後はゼミのみんなと写真を撮ったり。相変わらずアホな面々である。

一旦家に帰って、20時頃再び銀座へと出かけた。件の親友と飲むためだ。思えば知り合ったのは入学当初、話すようになったのは半年後くらいなので、まぁざっくり4年近くの付き合いになる。しかし4年という数字がこれほどなく陳腐に思えるほど、大量の時間や経験を共有してきた。卒業式の夜に飲むにはこれ以上ない相手だ。適当な思いつきで、都会のオアシス、日比谷公園を散歩した後、ベルギービール屋に適当に入った。

何かが積もるほど会っていないことは全くないので、積もる話は特になかったが、まぁそれでも会えば話すことは色々とあるので気が付いたら終電になっていた。終電で帰ると、同じ駅に住んでいるゼミ生が同じく終電に乗っていたので、これまた一杯ひっかけて帰ってきた。飲んでばっかりだ。

明日はゼミの追いコン。明後日早朝沖縄に向かうので、しばらく更新できない予感。

2009/03/22

PIE

今日は昼間は髪を切ったり論文を読んだり。夜は両親と祖母と食事をした後、ベトナムの反省会?に顔を出してきた。

僕自身はベトナムのスタディツアーは途中で帰ってしまったので、その後の話を色々と聞いていた。協力隊の人は意外と開発にすごく興味があるという人ばかりではないという説が浮上した。まぁ職種によっても左右される話だとは思うけども、今回の訪問ではそういう人は一人だけだったらしい。だいたいどこの業界でもそんなものかもしれない。

あとは適当に皆と冗談などを交わして、終電で帰ってきた。毎度梅ヶ丘邸にお世話になっております。

フォトイメージングエキスポ2009というのがあってものすごく行きたいのだけども、生憎沖縄と日程が丸かぶり。S5Proの後継機が発表されると良いんだけどなぁ。フジの人、お願いします…。

2009/03/21

開花

実はちょっと前に捻挫をしていて、その夜は結構動けないほどに痛みがあったのだけども、だいぶ回復して今日は普通に歩けるほどに。しかしあの夜は一人暮らし始めて以来の危機で、リアルに誰かに食料調達etcを頼むかもしれないなどと覚悟した。風邪などを少し引いたことはあったが、歩行困難になるのは初めてだったからだ。翌日にはだいぶ痛みはひいていたので大事には至らず済んだのが幸い。

今日は昼間は論文読んだり買い物に出かけたり。夜は高校の同級生に呼ばれて会議の横に座ったり、会議後その同級生と話をしたり。しょっちゅう会うわけじゃないけども、一年に数回会って真面目な話を気楽にする人がいるとはいいもの。


今日東京の桜が開花したらしい。四月上旬くらいまで長持ちしてくれればこれ幸いなのだけども、これから一週間気温が低いのでその見込みがあるとか。僕は道にずらっと並ぶソメイヨシノ的な桜はちょっと派手すぎて特別好きではないので、むしろ一本だけのシダレ桜とかの方がそそられるわけだけども、まぁたまにはそういうのもいいかと思う。

桜の季節になると桜ソングがいろいろ出るわけだけども、馬鹿の一つ覚えのように「桜の花、舞い上がる道を」を聴く昨今。桜というと儚いイメージがあるせいか、桜ソングも大概そういう曲が多い気がするのだけども、そんな儚さを越えてなお、前に進んで行く力を感じる一曲だと僕は思っているので、好きなわけ。タイトルも秀逸。あぁ、でも「絆」に入ってたバージョンよりシングルバージョンの方がいいと思うけど、たぶんニューアルバムに収録されるのはシングルバージョンなので、もし買いたい人はそれを待つのが良いかも。


明日輝くために息も切らさず走り抜けた
過去を 未来を 自分を 遠回りしてた昨日を越えて
桜の花、舞い上がる道を

見ろよ 大いなる花
街は昨日よりも鮮やか
確かに感じる 明日は来る さあ今おまえと行く
桜の花、舞い上がる道を

いつも通りのメッセージだけど、「色々あるけど凄まじく前向き」というのが好きなのです。

Vietnam, Maroc, Barcelona

旅行記があまりに長くなってしまったため、まとめをしておこう。

ベトナムではホーチミンの喧騒に懐かしさと力強さを覚え、フエの川下りや寝台列車、それにハノイの湖では流れる時の穏やかさを感じ、サパでは多少とはいえ大学での積み重ねを認識し今更ながらの先輩面という物も覚えた。そして色々と覚悟を決めよう、と思わせる旅でもあった。

モロッコではこの国が見せる色々な顔に驚きを覚えつつ、砂漠まで行ってきた。もうそこはパイロットが彷徨った砂漠とは違う砂漠だったが、その片鱗を見ることができて良かったと思う。英語が通じないシーンに結構出くわして困ったりすると、久しく忘れていた隔絶感を覚えた。どこか白昼夢のような旅だった。

バルセロナは期待通りの街だった。活力あふれるカタルーニャの芸術はどうも僕の器にはやんちゃすぎて手に余るようだが、いつか好きになれるだろう。街を見下ろすモンジュイックの丘の清々しさはまた機会があったら寄りたいと思わせるのに十分だった。


これで春休みの旅行はお終い、と思いきや、サークルの同期の卒業旅行で沖縄に行くらしいので実はまだ残っているのだけども、まぁこれで実際終わりみたいなもの。ベトナム北上ツアーの3人、スタツアで一緒だった皆さん、ゼミの同期のやつらには重ねて感謝申し上げます。

p.s.
モロッコの旅の記録はこちらの同行者のブログも参照すると、相互補完的になるかもしれない。

2009/03/20

追いだし

木曜の夜は追いコンだった。久しぶりに一つ下の後輩たちと同期たちが顔を合わせ、少々駒場を思い出した。僕は人によっていろいろとその人に対して求めるものが違ったりするが、昔を思い出させてくれる人達というのもそれはそれだけで良いもののような気がする。そういう人たちしか身の回りにいないというのはちょっと駄目だけども。

後輩たちからは写真やメッセージなどを貼ったアルバムを頂いた。僕はあんまり写真に写っていなかったようでかなり苦労したようで。色々「何でここにあいつの写真が貼ってあるんだよ」などという突っ込み所は満載だったけども、正直期待以上の頑張りを見せたN君らには頭が下がる思い。ありがとう。

写真を見ていて色々思うところもあったけども、必ずしも良いことばかりをしてきたわけではない昔を反省しつつ、良い事もあった昔を大切にしつつ、今日と明日に生きていく所存。

あぁ、でもやっぱり一つ下の後輩はあんまり後輩って感じがしないな、とも思った。同じ部室にずっといて同じプロジェクトでやってて、まぁ僕があんまり先輩らしくやってこなかったせいもあるけども、どちらかというと仲間気分。それはそれで良いものだけども。

今日はサークルの別のイベントで、色々飲みとかもあった後、別の飲みにも顔を出したり。明日は何もないので久しぶりにゆっくりしようと思う。あぁ、しかしもうそろそろ卒業してしまうぞ。

2009/03/19

Barcelona 3

朝はまずミースファンデルローエ記念館に向かった。バルセロナ万博の際にドイツパビリオンとして作った建物とそれに合うように作ったとされるバルセロナチェアが残されている。




僕が説明するまでもないくらいに有名なものだけども、やはり僕にはガウディよりはこちらの方が落ち着くらしく、この建物と椅子しか無いところに結構長くいた。これで数ユーロとられるので、好きな人以外は行かない方がいいかも。

その後モンジュイックの丘を上りつつミロ美術館へ。

モンジュイックは自転車が結構多くて、サイクリングコースになっているようだ。

ミロの作品群をひたすら観る訳だが、僕はオブジェの類いは結構気に入ったが、どうも絵画の部類はあまり好きになれなかったようだ。

ガウディにしてもミロにしても、どこかでどうも「気持ち悪さ」を感じてしまう。それは決してマイナスの意味ではないのだけども、どうもこう生命力があふれすぎているような感覚に陥るのだ。それがカタルーニャの地理的な要因からくるかどうかはよくわからないが…。しかし僕にとってそういう類いのものは、野菜嫌いの子供にとっての野菜であって、あまり好きではないけども食べないと健康に悪い、それにいつか食べていれば好きになれるかもしれないと思って暇を見つけては食べるのである。

その後市バスに乗ってモンジュイックの南端へ。ここからロープウェーに乗って港まで行こうとしたが、あいにく強風で運行していなかった。しかし見晴らしがこの上なくいいので、ここでしばらくぼーっとしていた。


ふと日本に電話をかけようとしたが携帯がいまいち不調で、公衆電話も近くには無いと言われたので、まぁそろそろ町におりようかと乗ってきた市バスを逆のルートでカタルーニャ広場周辺まで戻ってきた。このあたりには公衆電話は腐るほどある。あぁ、しかし公衆電話なんて使うのは久しぶりにもほどがあるぞ。

その後靴を買い、まだ時間が残っていたのでバルセロナの現代美術館に行ってみた。


なかなか面白い展示をやっていた。やはり僕はこういうのが性に合ってる。

その後いったんホテルに戻り軽い夕食へ。タパスをつまんで帰ったのだが、ここで食べた「茄子とアンチョビのブルスケッタ」的な「Coca」なるものに感動した。どうやらこれはチーズなしピザという感じらしいが、それまでこの旅行で食べた味はたいてい食べた事がある味の中だった一方、この味は新鮮で思わず興奮してしまった。

その後一路カンプノウへ。今日はビルバオ戦なので、まぁそんなにお客は入らないだろうと思っていたが、さすがに今年は内容がいいせいか8割程度は入っていたと思う。後で見たら75000だったそうだ。




試合の内容は終止バルセロナペース。どうもシュートだけはいまいち入らなかったが、あの展開だと「ゴールよりもポストにぶつけた方が盛り上がる」ってなもんで、お客さんたちも結構楽しんでいたように見えた。僕はサッカーは実際にやっている訳でもないのでいまいちこまかい所は分からないが、イニエスタはすごかった。そして下部組織育ちが計8人出場するカンテラ祭りだった。スタメンの中盤はオールカンテラという大盤振る舞いだったし。

しかしバルセロナファンになってからいつのまにか8年が経つけども、まさかカンプノウで観れる日が来るとは思わなかった。熱心に毎試合観ていたのは最初の数年だったけども、今でもハイライトぐらいは毎試合地味に観ているので、ひとしおの気持ちでイムノを聞いてしまった。でも僕が見出した頃からいるのはプジョルとチャビくらい。8年も経つとそういうものだ。

これで僕の旅はおしまいで、後は成田に戻るだけだ。ホテルから見える広場を観ながら、長かった旅を思い出していた。


かなり旅行記も長くなったので、書き忘れた事も含め三か国のまとめを次回軽くして締めようかと思う。

Barcelona 2

酒蔵見学は午後ということだったので、午前はサンツ駅に向かいながらちょっとした観光。カンプノウにも向かい、翌日の試合のチケットも手に入れた。ラテラルなので、結構いい席だ。

見学する酒蔵はコドルニウCodorniuというメーカーで、日本だとCavaといえばフレシネだがそれに負けず劣らずのメーカーさんらしい。国鉄近郊線セルカニアスにのりサンツ駅から約50分。最寄り駅に着いた。

僕がこの酒蔵を知ったのはこのサイトからだったのだが、最寄り駅からはタクシーで行くような事が書いてある。まぁ田舎の駅でもタクシーくらいいるだろうと思ったら駅前にはタクシーがいない。しばらく待ったりあたりを探してもいないので、駅の人にタクシーを頼むとタクシー会社の名刺を渡された。しかし電話で怪しいスペイン語を使うのもかなり不安なので、「No puedo hablar espanol」で結局駅の人に電話をしてもらった。使いどころによってはこの台詞は強い。

タクシーで約五分、レセプションに着いた。中々いい感じ。


ツアーではカバの製造過程などを説明してくれたり、トロッコに乗って内部を一回りしたり。最後には試飲もあったりして、かなり面白かった。これでビール、日本酒、スパークリングワイン、ワインと4種の蔵?はまわった事になる。次は泡盛だろうか…


コドルニウのレセンプションの人はかなり親切で、日本語で書かれた資料を渡してくれた。またガイドの人も絵に描いたようなツンデレっぷりで(詳細は書かない)、なかなかそういう意味でも面白かった。

最後にはショップがあったが、かなり安く感じたので免税範囲いっぱいに買ってしまった。一番高いと思われるものでも、普通のサイズで2500円程度。日本で日本酒を買う感覚で向こうだとワインが買える。まぁ日本でもあんまりちゃんと探した事無いから探せば帰るのかもしれないけども。

ふたたびセルカニアスで今度はカタルーニャ広場まで戻り、いったん解散して僕は広場の百貨店で茄子のピクルスを探しまわり、その後また集合して夕食へ。パエリャを食べてないという事で、パエリャを食べた。そら不味い訳無いわな、という感じ。

明日でこの旅も最後となる。最後の日は夜まで各自自由行動なので、僕はガイドマップを見ながら行くところを考えていた。

2009/03/18

Barcelona 1

バルセロナに着いた日はもう夜遅かったので、観光は次の日になった。バルセロナと言えばガウディ、ということらしく、一日市内観光をしつつガウディの建築物を見ることにした。全部紹介する必要も特にないので、気になったところだけピックアップしよう。

まずはサン・ジョセップ市場だ。ここはバルセロナで一番大きいマーケットで、港町らしく新鮮な魚介類や肉類、果実などが並ぶ。ホーチミンのベンタイン市場とはかなり雰囲気が違い、生物が平気で並んでいるのにもかかわらず蠅は一匹も飛んでいなかった。当たり前と言えば当たり前だが、そういうところは大きいのだ。たとえ言葉が分からなくてもいろんなものが並んでいるのを見るのも楽しい。お勧めしたいスポットだ。



ちなみにバルセロナの公共交通機関などのサインはカタルーニャ語で書かれていることも多い。さすがにカスティリャ語(普通のスペイン語)を喋られない人はあまりいないと思われるが、英語はあまり通じない。No puedo hablar espanol(ノ プエド アブラール エスパニョール)というのを覚えておくといいかもしれない。私スペイン語喋られませーんと言う意味で、皮肉にも第二外国語でスペイン語をとった僕が一番記憶に残ったスペイン語だ。

その後有名なサグラダファミリアへ。建設中とは知っていたが、本当に内部が工事現場になっていたのは結構衝撃的だった。いやよくよく考えれば当たり前なのだけども、あれほど露骨に工事現場だとは思ってなかった。建築様式云々(またざっくりしたことは後で書くが)よりも、個人的にはキリストの造形が一番心に残った。

サグラダファミリアで一人迷子になるハプニングもあったが、事なきを得てグエル公園へ向かった。高台にあるのだが、普通に一般道にエスカレーターがあってそれを上って行く。公園から見下ろす景色はすばらしく、バルセロナの町と地中海が一望できた。



夕食の時間になったので一旦ホテルに戻って食べに向かう。さすがに本場だけあって、いわゆるのレストランのクオリティーが高い気がする。15ユーロくらいで東京だとあまりないだろう雰囲気が結構よくておいしい店があるわけで、まぁ逆に西洋でいい感じの和食屋を探すと超高級になるのだから物事イーブンだぜと思いつつ、美味しく頂いた。何より魚介のプリンが美味しかったのがうれしかった。何しろこの旅で魚介を揚げることなく食べたのは初めてだったからだ。


なんだか一日歩いて疲れてしまった。バルセロナの夜は長いそうだが、僕は次の日に備えて早めに寝た。次の日はカバ(スペイン産スパークリングワイン)の蔵を見学する予定だ。

追記:
うっかりしていたが、サンパウ病院にも行っていた。写真を撮ったのは覚えているが、ここに行った時はすでに疲労困憊であまり覚えていない。

amazonで予約していたのが届いた。

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」がいわゆるA面の曲。一番好きな曲になるかどうかは分からないけど、今のところ割といい感じ。アルバム「昇れる太陽」と武道館ライブが楽しみ。

今日は夕方から卓球やらバドミントンやら激しく運動してきた。何やら昨日からスポーツ三昧。夜は夜で旧友と食事をし、帰宅。もうひと頑張りして論文やら旅行記やらを。

2009/03/17

Casablanca 2

カサブランカに戻ってきた我々。一泊して次の日にはそれぞれ帰ったり僕らみたいに別のところに行くので、一同揃うのは最後の夜だと思う。そういうわけで最後の宴を開いた。あのメンバーだったからこそあのハチャメチャな旅ができたと思っているので、個々のメンバーには感謝したい。実に楽しかった。これからは会う機会は減るかもしれないが、末長くよろしくお願いしたい。

カサブランカを出る日の午前は時間が空いていたので、以前行きそこねたハッサン二世モスクの内部見学に向かった。このモスク、外見からして巨大で、さぞかし中身がすごいのだろうと思って行ったのだが、中身もかなり豪華で期待通りだった。見るところの特にないカサブランカにおいては比較的行く価値のあるところだ。しかし建設費を想像するとモロッコの財政がちょいと傾きそうな気がしてならない・・・。

その後ホテルに戻り、ここでお別れの三人と軽いお別れをした。Yは相変わらずキャッシュがない、流動性制約が云々、と喚いており、Wは風邪気味で寝込んでおり、KはYと夫婦漫才を繰り広げているなど三者三様だったが、まぁまた追いコンでと言って気楽に別れた。

ここからは三人でバルセロナへの旅となる。個人的にはバルセロナは一度行ってみたい都市ランキングでもかなり上位に位置する都市で、念願叶ったりの旅となった。カサブランカからは二時間弱でプラッツ空港に到着。そこからバスで20分少々で、市内中心部についてしまう。もう空港に着いた頃は夜だったので街の明るい姿は見ていないが、明らかにベトナム→モロッコ→スペインとインフラのクオリティーが上がってきているのは分かる。

有野くんよ!フォークだっ

久しく通常の日記をつけていなかった。

昨日は神田に買い物に行きつつ本屋によって、家に帰ってきた。家では適当に読書。

今日は昼から等々力渓谷に行った後玉川辺りでキャッチボールをする予定だった。しかし相棒が深刻なトラブルにあい、気づいたら僕らはなぜか荒川でキャッチボールをしていた。うーん川違い。茄子のアサディジョ漬けと似て非なるものとカバをスペイン土産に持って行ったが、茄子がなかなか美味でパンとよく合った。茄子さまさま。

その後終電近くまで話しつつ飲んだり食べたりで先ほど帰宅。しかし気が付いたら今日から月末くらいまで夜の予定がほぼ詰まっている。所属するコミュニティーは二つだけのはずなのに、何か異様に食事会やら旅行やらが多い。どうなってるのだ・・・。

2009/03/16

Merzuga 2 - Fez - Meknes

早朝、朝日を見るため砂漠に向かった。ラクダに少額払えば乗れるという事だったが、手持ちのディルハムがあまりなかったのと、どうせだから歩きたかったというのもあって断った。ラクダに乗ることよりも自分の足で砂漠を歩くことの方がより希少じゃなかろうか。年を取ったらラクダに乗るだろう。
なんというか、そりゃあそこに突然放り出されたら、いないはずのアラビア人も見えるわ、という具合。

--よかったな!」
--何が?」
--あのアラビア人たちさ!」
--どのアラビア人?」
--あそこに、きみといっしょにいるあのアラビア人たちさ!……」
(中略)
--アラビア人なんか、一人もいはしないぜ……」
どうやら、今度こそ、ぼくは泣きだすらしい。
「人間の土地」



朝日を見に行ったポイントで時間が出来たので、何気なくベトナムに残った友人に電話をかけてみた。そろそろあちらは全日程終了の頃合いだ、と思いかけてみると友人の携帯は不通だったがリーダーの携帯がつながった。しかしよくよく考えるとどうして砂漠の中で携帯が通じるのだろう、そういう風に思った連れが携帯で話す僕を写真に収めていた。後で聞いた話によると昔フランス人夫妻がここで遭難したらしく、それを知ったヒラリー・クリントンが電波塔を建てたとか。かなり怪しい話だが、まぁ電波が通じたのは本当だ。

砂漠から戻ると今度はフェズまで一気に移動する。途中いろいろ寄ったとは思うが、大体寝ていたのでよく覚えていない。いい加減旅の疲れもたまっていたみたいだ。

フェズに着いたのはもう夜だったので、観光は次の日の午前のみだった。フェズのスークは巨大な迷路のように入り組んでいて、洞窟度はマラケシュのそれよりはるか上だった。中では驢馬?が荷物を運んでいる。中でもコカコーラを運んでいるやつが印象的だった。






フェズの青空は本当にきれいだった。王の墓やらいろいろ見た気がするが、青空の方が印象に残っている。あぁ、でも墓にあったモザイクはクオリティが高かったのは覚えているし、値段交渉に躍起になる同期たちも覚えている。確かに値切るのは楽しいかもしれないな。

その後メクネスによりマーケットなどを見た後、列車にてカサブランカへ戻った。途中列車がトラブルで駅に止まったまま動かなくなったので、プラットフォームで空気を吸っていたら、乗客のおじさんも一人降りてきたので情報収集を試みようと英語で話しかけてみた。するとこのおじさん、モロッコ人にしては珍しく英語の話せる人で、トラブルの原因はよく分からないこと、しばらくは列車が出ないことを教えてくれた。

どうせ暇だったのでしばらく話していると、お前は旅行が好きなのか、という話になり、去年はインドネシアに行ったと言うと、どうだ、同じイスラム国だけど何か違うか、と聞いてきた。言われてみてハッとしたが、あまりそういう視点を持ってこの旅をしていなかったので、少々答えに困ってしまった。そこで、あなたはどう思うんですか、と「質問を質問で返すなあーっ!!」と言われんばかりのセリフで返してしまったのだが、結構この話は面白かった。

おじさん曰く、モロッコのイスラム教はかなりゆるいらしく、インドネシアのほうがきついらしい。これはイメージとは逆だったが、言われてみるとインドネシアのほうがベールをした女性が多かったように思える。勿論おじさんバイアスはかかっているとは思うが、このことが事実かどうかはどうでもよくて、これを機に多様なイスラム文化に対しての理解を深めてもいいのではないかと思うようになったのだった。

おじさんがもうすぐ発車するという旨のアナウンスを教えてくれたので、僕はコンパートメントへ戻った。再び動き出した車内で、ふと「人間の土地」の一節を思い出した。サハラに迷った主人公が自分の死に関して思いを巡らすシーンなのだが、あれほど英雄的なパイロットが、自分の死を悲しむ人の顔を想像すると耐えられない(勿論英雄があるが故に自分の死そのものに対しては恐れは抱いていない)と言うのは、なかなかに新鮮だった。そしてまた別のシーンの、僚友が行方不明になった一節が思い出された。
何ものも、死んだ僚友のかけがえには絶対になりえない。旧友をつくることは不可能だ。何ものも、あの多くの共通の思い出、ともに生きてきたあのおびただしい困難な時間、あのたびたびの仲違いや仲直りや、心のときめきの宝物の貴さにはおよばない。この種の友情は、二度とは得難いものだ。樫の木を植えて、すぐその葉かげに憩おうとしてもそれは無理だ。

カサブランカには結局約2時間遅れで着いた。

Merzuga 1

ワルザザードから僕らを乗せたバスは一路メルズーガへと向かった。メルズーガはアルジェリアとの国境に近い砂丘の名だ。

僕らは途中いくつか寄り道をしている。まずはロッククライミングで有名なトドラ渓谷。

それこそインディージョーンズにでも出てきそうなこの渓谷、ここでラクダの肉のタジンを食べて再びバスに乗った。

ついでなのでモロッコの食事についていくつか書いておこう。基本的にフォカッチャ的なパンとそれにつけるトマトソースはだいたいどこででも出てくる。一番よくあるパターンはオリーブなどのサラダとタジン。タジンは日本でいうところの「煮込み」で、割合しっかりとした味付けで肉と野菜や豆などを煮込んだ料理だ。三角帽の形をした鍋のふたを見つければそれがタジンだ。旅行中何回食べたか分からないほどお世話になった。

有名なクスクスはそれほどしょっちゅう食べるものではないらしく、結局僕は一回しか食べなかった。メニューで見たのも2,3回といったところだろうか。観光客の見たメニューなんて大いにバイアスがあるものだから実際の食生活を反映している可能性は低いが。あぁ、果物はオレンジが多かった。飲み物はフランス領だったからだろうかコーヒーが結構多かったが、ミントティーなるものも結構popularだったように思える。生のミントを使ったミントティーは香り高く印象的だった。友人へのお土産にも乾燥したものだったが買って帰った。


次に向かったのが、地下水路から水を汲みとる井戸があるという所だ。特に名前は無かったように思えるが、いよいよここから砂漠らしくなってくる。バスから降り立ったとき、思わず息を飲んでしまうくらい殺伐とした風景だった。



最後の写真なんてフィクションとしか思えないが、こんな風景がただひたすら目の前に広がっていたのだ。

僕らの載っているバスは普通のワゴン車のため、砂漠を走行するには少々難がある。よって四駆車に乗り換えて一路砂漠の真ん中にあるホテルを目指すことになる。辺りはもう暗く、砂漠というとすぐ思いつくあの丘陵線は確認することができないが、行き先照らすヘッドライトがここが砂漠であることを教えてくれる。

ホテルについて食事をした後(やはりタジンだ!)、星を見ようと外に出た。満天の星空とはあのことだろう。写真には実際の半分くらいしか映っていないことを留意しつつ、クリックして大きな画像で見てみると、その星空のきらめきが分かる。

もう一度また別の機会で来てみたい、そうストレートに思った。

ところで、サン=テグジュペリとその作品についてごく軽く紹介しておこう。彼は郵便航空機のパイロットとしての自らの経験を元に小説を書いている。いちばん有名だろう「星の王子さま」は読んでいないので分からないが、「人間の土地」と「夜間飛行」では郵便航空機のパイロットたちの日常や、自らのサハラ砂漠での遭難、僚友の死などを書いている。当時は計器飛行などなく、まったくの暗闇を限られた情報を頼りに南米大陸まで飛行していたパイロットたちの仕事は、十分に彼らを社会的にも内面的にも英雄せしめるものだったに違いない。僕らにそれが想像できるだろうか、光一つない闇空を頼りない機体で切り裂いていくのだ。

そんな彼らが時に横切り、時に迷い込んだ砂漠を僕はドライバーの運転する4WDに乗って来たらしい。

Ouarzazate

マラケシュからマイクロバスで半日くらいの移動。言うのを忘れていたが、マラケシュからは日本語のできるガイドさんとキレると怖いドライバーさんが付いてきてくれている。

この旅をゼミ長と企画したとき、ツアー会社に手配を任せるかどうかを相談したのだが、結果的にこれは正解だったと思う。モロッコはホテルを除いてほとんど英語が通じないので、中々集団での自力旅行は難しいと思われる。そして公共交通機関がそこまで発達しているわけでもないので、フェズやマラケシュといった都市部はともかく、今回のような南の砂漠地帯へ足を伸ばすにはツアー会社にいろいろ丸投げするのが楽で早い。

雪を頂きに携えるアトラス越えをしつつ、途中世界遺産になっているというアイト・ベン・ハッドゥに立ち寄る。ここまで来ると段々と砂漠っぽくなってくる。ここは要塞が有名な所で、川を驢馬や馬で渡って要塞に上ってきた。




ふとタトゥイーン(スターウォーズの主人公が住んでいる惑星)を思い出すが、確かスターウォーズはチュニジアでロケがあったはずだ。しかし映画になる風景だなと思ったのは間違いなかったようで、ここは「グラディエーター」などのロケが行われたらしい。

その後もバスで少し行くと、ようやくワルザザートに到着。一応映画スタジオがある街で交通の要所なのだが、すごく小さい街でホテルしか目立つ物が見当たらないような場所だ。ホテルはなかなか豪勢で、プールまで付いていたので、よくプールの脇にありそうな寝そべられるチェアに横になって本を読んでいた。いよいよ砂漠まで来たなぁ、と思いながら「人間の土地」を読む。何という贅沢・・・。というかこの二冊を読んでから砂漠に行ってから良かったと心底思う。

まぁモロッコだけに言えたことかもじゃないかもしれないが、RPGのマップみたいに町とそれ以外がくっきり分かれているのが日本人にとっては新鮮だ。砂漠の中に砂色の壁が突如現れ、また地平線の彼方に消えていく。ワルザザードなんて本当にRPG的な「砂漠の中にポツンとある宿場町」だった。

皆は食事後外を見に行くと言って出かけて行ったが、僕は疲れていたのでホテルの部屋で本の続きを読んだりしていた。次の日はまたバスで移動して、砂砂漠のど真ん中に行くらしい(今までの砂漠は礫砂漠だと思われる)。鳥取砂丘にすら行ったことがないので、これは楽しみだ。

Casablanca 1 - Marrakech

カサブランカの朝を迎えた。アフリカ大陸に来たのは初めてだ。

とりあえず昼過ぎのマラケシュ行きの列車まで暇だというので、市内を散策することにした。しかしカサブランカ、正直言ってあまり見るところがない。ハッサン二世モスクの中は結構すごいと後になって分かったが、それ以外特筆すべきところは無い。日本人のある一定の年齢層の中にはカサブランカに対するイメージが結構いい層もあると思うが、もしモロッコ観光に行くのなら都市はマラケシュとフェズだけでも良い気がする。あぁ、でも本当に家は白かった。

カサブランカの駅まで歩いて30分ほど。何故かこのころはタクシーに乗らずひたすら歩くという愚策をしていたので、やたらに疲れた記憶がある。そして今自分がどこを歩いているかが分からずに歩くのは苦痛だという事を知った。やはりまともな地図を自分で用意していくべきだ。今回は色々人任せにしすぎた、と後悔した。

マラケシュまでの列車に飛び乗り、車内で過ごすことになっている数時間を適当に過ごす。意外と中は快適で、あれなら二等でも全く問題ない。なんだかインフラのクオリティーなども含めてベトナムよりは進んでいる気がした。やはりGDPはある程度の事を反映している。まぁ乾燥していて衛生的に安心できたり不快ではないというのが東南アジアとの大きな心理的な違いだが。

列車から外を眺めると、丘陵に牧草が広がっていた。モロッコのイメージと言うとどうしても砂漠のイメージがあるが、実はモロッコの地理的な様相は顔が広い。考えてみれば単純な話が、アトラス山脈をはさんで南北でガラッと見えてくる風景は変わる。カサブランカやマラケシュは山脈より北なので、まぁ言ってしまえばスペインイタリアなどとあまり変わらない地中海的な風景が広がるのだ。

マラケシュについたその日は特になにもせずに夜を過ごした。

次の日、フナ広場という市内でいちばん大きい広場に向かい、そこからメディナ(旧市街)の中のスークへと向かう。スークの中は写真などでしか見たことのないような風景で、中々歩いていて楽しい。かなり古い町並みで閉塞感を覚えたりもした。というか洞窟のようにすら感じたのだった。ここで暮らしていると気が塞ぎそうだ。




スリッパを買ったり色々王の墓などを見た気がするが、正直言ってあまり記憶に残っていない。どうも王宮の類より何気ない日常をのぞく方が好きな性分のようで、何も考えずにブラブラと歩くのが一番楽しい。そうしているといつの間にかはぐれてしまったりする。

そんな折フナ広場に戻って少し休憩しているとスコールに降られてしまった。単独行動をするとスコールに降られるのはベトナムを離れても変わらないようだ・・・。


翌日はよく分からない街へワゴンで行くらしい。実はこの旅、一週間近くでモロッコを縦横無尽に駆け抜ける弾丸ツアーなのだ。