2010/12/20

メメント・モリ

この前、とある人とお酒を飲む機会があった。50過ぎくらいの人だ。初対面だったので、自然と出身の話になり、「○○高校です」と言うと、途端にその人の顔つきが変わる。どうやら、同じ高校出身の友人が何人かいるようだった。そして、そのうちの一人が夭折したようだった。25歳だったそうだ。

普段は冷静な人で、お酒を飲んでもつぶれるまで飲むことは滅多にないらしいが、その日は明らかにおかしかった。僕の頭をもみくちゃしつつ、ニコニコしたり物憂げにしながらワインを一瓶開けた。何度も僕をぼんやりと見ていたが、それはその向こうに若かりし旧友の面影を重ねていたからだと思う。

疲れていたのもあったのだろうか、八時頃には会を締め、千鳥足でタクシーにすべり込んで帰って行った。将来の死を恐れる動物は人間しかいないと小耳にはさんだ事があるが、友人の死を30年近く経っても悼む動物も人間だけなのだろうか・・・。


しかし死というものは全くもって分らない。分ろうとすると、途端に怪しい世界に引き込まれるのがオチだから、そろそろ死ぬかなぁ、という時まで考えないのがいいんだろうな。そして、その時は死に対して思いを巡らせるのではなくて、例えば周りの人達などに、その時しておくべきことをしたらいいんだろう。その人達はもう少し生き続けるのだから。


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ところで、僕は知らなかったが、メメント・モリは元来そういう意味だったらしい。つまり、カルペ・ディエム、seize the dayの類語で、ざっくり言えばその日その日を楽しめ、と。それがキリスト教的文脈の中で、文字通り「死を想え」になったとか。本当だとしたら興味深い。もしも存在すらしない死後の世界での魂の救済とやらに、しぶしぶ投資をしているのだとしたら、その損失は相当なものじゃないだろうか、なんて。まぁ本当にそういう話だとしたら、それはそれで「救い」がない話だけども。

しかし本当に身の周りで不幸があったら、しんどいよな。幸い本当に身近なところでは今までそういうことがないけども。

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