2011/01/17

憂き世離れ

まぁ無駄に話長いし、全くまとまってないんですけど。


僕の理解できないものはそれこそ高度な理論やら源氏物語の面白さやら古今東西多々あるけども、生活レベルで言うと、それは幾つかの類の障害と老い、それと宗教だ。それぞれを抱えている人の事を、僕は全く分らないし、避けている。

例えば知的障害や視覚障害のような、知的活動や情報処理に関わる類の障害は職業柄?避けたいと思う。仮に僕がスポーツ選手だったら身体的障害を嫌っただろう。老いてきて死が着実に近づくのも素直に怖い。僕は出来る事なら食事をしてコーヒーを飲んで、本を読んだり散歩をしたりして、日々楽しく浮世に生きていたい。

宗教の類もなるべくなら避けたい。とある人の台詞を借りれば、とっくに神は死んでいるし、まぁそれでなくても少なくとも僕の脳内に神なんていない。学問も宗教みたいなものかもしれないが、僕の知っている限り経済学は僕個人の行動に対して「○○すべし」とは言わない一方、「○○すべし」と言ってくる神や信徒はいたりする。

そして避けているものは理解できない。

しかし一方でこういう考え方が一種偏屈で差別的なのも理解しているつもりだ。だから内心よく分らんと思いつつも、そういう人が実際いるのはいるんだし、まぁ僕がそれなりに生きているように、その人はその人なりに生きているんだろう、という程度に思っている。しかしいざ自分がそうなったり、自分の周りにそういう人が突如現れたりすると、訳が分らん、どうしよう、と慌てふためく。例えば、自分の子供が重度の知的障害を持って生まれてきたら、どうするか相当に迷うだろう。自分の決断が一種独占力を持っているのだから尚更だ。


僕はものすごく狭い世界に生きている研究者のたまご(仮)だ。それは人里離れた工房で修行している芸術家や、年末に東京に集まっているオタクのようなもので、そこにいる限り果てしなくエキサイティングで愉快だ(外からはそうは見えないかもしれないけども)し、運と才能によっては素晴らしいとされる作品が作れたりする。まぁそれはそれでいいんだけども、基本自分の好きな事しかしていないという意味で憂き世離れと言われてもおかしくないのは確かである。


多分あと十年とか、数十年とか経ったら、考え方も変わってくるんだろうけども、少なくともこの数年ではあまり変わらないな、という記録でした。

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