2012/01/31

談志の話

ずっと気になっていたがあまり機会に恵まれず、気がつくと鬼籍に入っていて慌ててその人の作品を探す事がある。僕にとっては立川談志とはそういう人だった。

まぁ要するにニワカなのだ。僕は落語なんて何も知らないので良し悪しなぞ分る訳もなく、批評や本人の解説を読みながら落ちている「芝浜」などを見て、「はぁはぁ、なるほどこれが人間の業の肯定というものですか、納得納得」と言ってる救いようのない間抜けなのだが、そんな折に彼がNHKの「しゃべり場」に出演した時のものをたまたま発見して見て大変強い衝撃を覚えた。

http://youtu.be/igemu1O20sU?t=5m57s

いつ消えるか分らないので内容を簡単に書いておくと、10代の少年少女が「生きる意味とは何だろう、真剣に生きるとはどういう事だろう」という青臭くて目を背けたくなるがしかし背けずにはいられないテーマに関して、彼は若者にこう語りかける。

生きている事に意味なんてないんです。だからしょうがないから意味を付けたんですよ。逆に言うと意味を持たないと生きていられないから、意味を付けた。それが私にとっての落語だ。
 しかし「談志さんの落語いいですね」と言ってくれるって事で良しとしようってんだから、それは所詮妥協であり諦めさ。世間ではそれを意味というけども、まぁでも(生きる)意味はないんだと思います。



僕も10代の頃、いや今でもたまにあるからこそ是を書いているのだろうけども、彼らと同様生きる意味を考えてしまう事があって、大学入って少ししたころから「人生に最初から意味なんてないのだから、意味を付けてやろう」と思うようになりながら今もそのスタンスでいる。が、結局その付けてやる意味っていうのは社会貢献だの何だのっていう他人無しではありえないものであって、それは妥協であり諦めであり、もっと言えば意味の押し付けなんだよなぁとも思っている。まぁ純粋アカデミックな研究はちょっと毛色が違うかもしれないけど、そういう研究だけじゃモチベーションはそこまで湧かないのも事実。現状その辺を誤魔化し誤魔化し生きているけど、まぁ研究とか勉強していて素直に楽しいと感じられるからバランスが成り立っているのかもしれない。


で、何に驚いたって、齢60を超えガン宣告もされた人、それもあれだけ名声をほしいままにしたとされる人が同じような事を言っている、という事に驚いたのだ。ともすれば「いやーいい人生でした。意味を感じる事が出来ました。」と言ってもおかしくない成功者だと思っていた。ところが死を間近にしつつ人生に意味はないとこう言いきり「ずっとそう思って生きてきた」と言わんばかりだった。僕は自身の死生観はこれから人生を送る中で変わっていくものだと思っていたけど、どれだけ生きようとこのまま死ぬまで一緒なのかもなぁという気がしてきたのだった。


実はこういう死生観は案外皆持っているものなのかもしれないが、若者同士ならいざ知らず、おいそれと老人に死生観など聞けるチャンスなんてそうないのでその分衝撃だったのだろう。


ちなみに最後に彼はこう言っている。
一番いいのは惚れた女こしらえるとかですね。恋してればそんなこと(人生に意味があるかなんて)言わないと思いますよ。


まぁ、なんてスイーツ。

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