2012/11/25

干渉

選挙が近い。だれに投票するべきかというのはいつもわからず、結局投票せずじまい、ということがほとんどであるが・・・。

権力を盾に伝統とか文化とか言い出す人たちは心底苦手なので、某野党はちょっと、という感じではあるが、かといってほかの面ではいいところがあるかもしれないので、まぁほぼ優劣をつけるのは不能なのである。論点が多すぎるし、それを絞っても結局政策の優劣なんていざ与党になったら新情報がぽろぽろ出てくるので変わりうる。そういう意味では、政策の目標とそれを実行するスタッフの質を見るしかないのかな。




しかし本当にそういう家父長のような権力者というのは政治だけではなく日常生活においても厄介なもので、まぁ僕は会社勤めもしていないのでそういう意味ではかなり恵まれているほうだが、それでもたまにはそういう人と相対しなければいけないこともある。そういう時には権力を無効化させるか、相手の権力が及ばないところに逃げ込むかの二択だと思っていて、大体逃げれるものはすべて逃げ切ったうえで、それでもダメなのは何とかして無力化させたい。余計な干渉に我慢したくないのである。


なるべくそういうトラブル的事象に合わないように生きていきたいが・・・。



2012/11/05

アイデンティティクライシス

最近「ジョジョの奇妙な冒険」が僕の人格形成に大きく影響していたという認識を日に日に強くしている。勇気とは恐怖を克服することだとどこかで思っているし、覚悟とは暗闇の中に進むべき道を切り開くことだというのもまた然りと思っている。実際僕はそんな勇敢な人間ではないかもしれないし、甘ちゃんなだけかもしれないけども、そうありたいと思っているのがこれまた事実。

そんなことを思ったのは、 こんなエントリをたまたま見たから。
http://d.hatena.ne.jp/raurublock/20080701/1214923268

僕はこの人と近いと思う。自分の人生を何かの物語としてとらえたことがないし、何せありえた自分を想像したとしても、アイデンティティが揺らぐ感触が全くないからだ。むしろアイデンティティを選択してきたという感触すらあって(もしかしたら昔「アイデンティティに先行する理性」を読んだのがちらっと残っているのかもしれない)、僕のアイデンティティは選択する主体という一点にのみに帰属しているという感じである。だから強いて言えばまったく好まない理不尽と思える強制をされた時こそがアイデンティティクライシス、(というか単にストレスがたまるというべきか)、なのであって、ジョジョのように物語や運命と思えるものが仮にあったとしても自分の選択によって抗っていくのが自然であり理想なのである。

まぁ実際自由意志とか存在しないかもしれないし、まぁたぶん存在しないのだろうけども、僕はこういうとらえ方をして局面局面で選択していくことが人生における幸せだと思っているし、そうでない人はそうでない生き方をすればいいじゃん、というスタンスだ。だが、あまりにアイデンティティクライシスという言葉がピンとこないので、果たしてアイデンティティクライシスというものを感じるときがあるのかは周りの人たちに聞いてみたいところである。